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【Vol.75号記事】 一日一日

前回のスピコラに「四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳にしたがい・・・」
という孔子の言葉を書きました。これは七十過ぎとなった孔子が人生を振り返って
そう感じた事です。

天命とは人間の力の及ばない大きな力や存在というものから自分に与えられた使命を指していて、
五十を過ぎる事にはそれまでの人生を振り返り、自分がどうあるべきかを思いめぐらすようになる
のではないでしょうか。

日本は世界屈指の長寿国になりましたが、だからといってこの先何が起こるか分からないのが現実です。
明日の事も分かりません。未来とは不確定なもので、ある日突然亡くなる事だってあるわけです。
孔子が先ほどのような言葉を残したのは、恐らく彼が一日一日を大切に生きて、死のその時まで
進化進歩することをせず、積み重ねて来た人生があったからだと思います。
生きている今日という日が大きな意義を持って、大切な瞬間なのです。
先の事が分からないからと、今を楽しんでおけば良いと、周りに迷惑をかけたりというその日暮らしとは違います。

尊い使命を与えられているのは、決まった人間だけではなく全ての人です。
だからこそ、一日一日を大切にする人は、同じ様に使命を生き切るために生きている周りの人々に対して
尊敬することができるでしょう。だれもが掛け替えの無い今日という日を生きているのです。

どれほど立派に見える建物も、基礎がしっかりしていなければ倒れてしまう様に
人生の中における一瞬一瞬の出来事を大切にして人生を積み上げていければ
どんな嵐にも揺らぐ事の無い人になれます。

人生の土台作りにマニュアルはありません。
人生の中で起きる出来事、試練から何を学び、それによってどんな行いをしたのかの積み重ねが
やがて土台になっていきます。

だからこそ、一日一日を大切に生きる事は大切です。何気ない日々の出来事の中に
気付きや学びのふとしたきっかけが潜んでいるからです。

しかしながら、一日一日を大切に生きるといっても、がむしゃらになっていろいろやるのとは違います。
レイキを開発した臼井氏が「自分の手に負えない事は天に任せて、ゆるぎない心境を獲得する事」
という意味で安心立命を説いています。これは新約聖書にでてくる「思い煩うな」  というイエスの言葉と
同じです。この言葉の締めくくりは「明日の事は明日思い煩えばよい。その日の苦労はその日だけで十分である」です。
結果が今出るわけでもない先々の事を思い煩っても仕方ないのに、私達はそのようなことで
いちいちくよくよしていることが結構多いものです。
くよくよするくらいなら、心静かに安らかに、自分の核へと耳を傾け、自分を見失わない様にする方が有意義でしょう。

現実的には多少先の事を考える必要はありますが、思い煩っても仕方の無い事に無駄な時間を割いている
事も事実だと思います。そんな時間を今この瞬間に留まって、自己成長のために使えたらけっこういろいろ
できるのではないでしょうか?