精神世界でよく言うところの「内省」「内観」についてのお話しです。
他の言い方をすれば「反省」とも言います。反省と書くと、なにか悪い事をしたような
感じに受け取られるかもしれませんが、この反省は内省、内観と同じで「内を省みる」事を指しています。
論語に「曽子曰く、吾、日に三たび我が身を省みる。日の為に謀りて忠ならざるか
朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝えしか」というのがあります。
孔子の弟子である曽子(そうし)は『人の為に心を込めて考えただろうか?
友達との約束を守っただろうか?自分では学習不足の事柄を人に伝えるような事をしなかっただろうか?』
と毎日三回は内を省みるという意味です。
一日のほんの少しの時間でも、その日の出来事を振り返り、不実ではなかっただろうか?
義に背かなかっただろうか?良心に反しなかっただろうか?と思いを巡らすのは大切です。
このような作業は自らを向上させていく第一歩になるからです。
また、この反省といったものは、別の言い方をすると「回心」とか「悔い改める」といった言い方もできます。
べつに悪い事をしたわけではないのになにゆえ悔い改めなければならないのか?と思われるでしょうが、
本来この言葉は「心を巡らして、良き方向へ心を向けかえる」作業です。
私達は日頃からちょっとしたわがままで人を傷つけたり、見て見ぬ振りをしたり、怠惰な理由で約束を破ったり、
誰も見ていないからとその辺にゴミを捨てたり・・・。法律を犯していなければそれでいいのでしょうか?
日本は飽食の時代になって、かつての様に肉体的な飢餓感に苛まれる事は少なくなりました。
その代わりやってきたのが心の時代、心の飢餓感に苛まれる時代です。
それ故に一人一人の良心がよりいっそう問われる時代になって来ているとも言えるでしょう。
偉そうにこれを書いている私は決して偉くもありませんし、まして立派な人間でもありません。
はた迷惑な事を書いていないか?義や愛に反した事を書いていないか?
毎回反省しています。
人間が人間である限り、100%聖人君子になれるとは思いませんが
かといって諦めて怠惰になってしまったら、自分を貶める事になると思います。
それは自己成長を失うばかりか、やがて心が貧弱になって、他者愛にも反することに繋がるでしょう。
生きている限り一歩一歩前に進んで成長していく事を忘れてはいけません。
足りるを知る事も必要ですから、力まず無理無く等身大の自分という見地から
内を省みる時間を大切にしましょう。