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【Vol.91号記事】 愛と愛情

前回は「霊と魂」の違いについてお話ししました。今日は「愛」と「愛情」の違いについて。
これは霊と魂よりももっと身近な感じがしますので、なんとなく分かるような気がするのでは
ないでしょうか?

単純に表現してしまえば、「愛情」は本能と感情によって生じるのに対し、「愛」は理性が
伴うと表現すると妥当かもしれません。

愛情は好き嫌い、危険かそうでないかなどに由来するもので、好きな人や好きなものに愛情を注ぐ事はできても
嫌いな人や嫌いなものに愛情を注ぐ事は出来ません。まして生命の危機を感じるような人や物に対して
抱く事は難しいと考えられます。本能に由来するものですから私達はあらかじめこれを持っています。
愛の反対語は憎しみだと言いますが、これは愛情の反対語が憎しみだと言えるでしょう。

一方、愛は上記のような事柄で区別されるのではなく、理性から発生するものですから、
嫌いであっても愛する事は出来ますし、生命の危機があると分かっていても愛する事も出来ます。
そこには赦しや感謝、祈り、見守る、受け入れる、見届ける、和解、平和といった事柄も含まれるでしょう。

こうやって考えると、概ね動物は愛情はあるけれども、愛は人間固有のもののような気がします。
もちろん、進化の度合いで犬や馬などは愛情を超えたなにかを感じる事はありますが、そのいくらかは
動物自体が生命維持のための本能的な選択の結果であるとも考えられます。

人間は平和的にも暴力的にもなれますが、動物は戦争はしません。
動物達は餌を奪い合うために戦いますが、人間のような戦争はしません。
多くの動物は恐くなると攻撃に出ますが、このように恐怖は攻撃性を生み出します。
恐怖は人間のみならず動物にだって備わっている本能的なものです。
しかし人間の場合、怖れに裏付けられた多くの感情(嫉妬、競争、独占欲、ねたみ、恨み、執着、被害者意識など)
と、そして他の動物より格段に発達した脳を使ってとても複雑な攻撃の仕方ができます。
それは時に非常に残酷な事さえも行える程。

また同時に人間は和解する力や許し合うという選択肢も備わっています。
人間は、たとえば過去の自分から開放されたい、未来の自分を作りたいと思います。
どちらの傾向も人間の特徴を表していると言えるでしょう。
そうやって時間の中で生き、しかも自由を与えられている人間はいろいろな可能性の実現を試しながら
自分自身の生き方を選択しようとする動物です。
その中で私達は「愛」を学び気付いていくことになります。
大いに進化した人間は、その核ともいえる本質の中に秘められた『愛』を元々持っている存在です。
しかしそれを生まれもってそれを理解しているわけではありません。
愛は学びや気付きによって理解に至っていくものだと思います。

最後にこんな言葉を
「人間は愛無しに生きる事は出来ません。人間にもし愛が示されないなら、人間がもし愛に出会わないなら、
もし愛を体験しないなら、もしそれを自分のものとしないなら、もしそれに心からあずからないなら、
人間は自分自身にとって不可解なものあであり、その生活は意味のないものです」
教皇ヨハネ・パウロII世回勅より