謙虚とは、辞書で見ると「控えめで素直な事。謙遜。へりくだること」とあります。
日本人は相手を立てるというのが礼儀の一つで、何か会話をしていて自分の事を低くし、
たいした事が出来ないようなことを言ったりします。
「粗茶ですが」「つまらないものですが」と。
昨今日常に埋没したこれらの言葉はもはや単なる社交辞令的なものになっているかもしれません。
そしてもはや古くさい道徳のようにも思われるかもしれません。
あるいは、相手に従属するような感じ、自己卑下のような感じ・・・そんな風に感じてしまうと
謙虚という言葉がなにか良くないイメージにも感じられるでしょう。
しかし、謙虚である事とはそのようなことではなく、自分の身の丈を知り、
本来の自分に相応しい行いをする事だと思います。 傲慢になるわけでもなく、
背伸びをするわけでもなく。
そして相手を立てるという「思いやり」の心から始まるものです。
思いやり・・・別の言い方をすれば、「愛」。
それは自分の内面から自然と出てくることが望ましいのは言うまでもありません。
人はどうしても周りから認められたかったり、良く見られたかったりします。
自分の現在の能力に見合ったこと、長所をありのままに知り、それを素直に表現して
いくならまだしも、誇張したり、自慢したり、本来の自分以上に見られたいという評価を求めた場合
どうなるでしょうか?
このような事はやがて見栄やステイタスにがんじがらめになり、傲慢に繋がっていくでしょう。
本来の自分、素直な状態での関わり合いではなくなってしまいますから、それは
人間関係において嘘をつく事になるかもしれません。あるいは表面的な関わり合いにしか
なりません。ここにさらに傲慢が重なると、人を見下す事に繋がっていくでしょう。
地道な努力と自分の身の丈を心得ずに、スピリチュアルなワークをしてかえって第六チャクラのバランスを崩し、自分を特別な人間と勘違いし、高慢になってしまう人もいます。
それでは分け隔てない無条件の愛から離れ、スピリチュアルから遠ざかるばかりです。
謙虚である事とは、ありのままの自分を知り、それを素直に表現する事。
そしてそこに「愛」があることです。