『うつ』という言葉が一般に知られるようになってしばらく経ちました。ここ10年ほどでしょうか?
昔は「うつ」という言葉はあってもなかなか理解してもらえる事も無く非常に苦しい思いをされた方も少なくないと思います。
「気持ちがたるんでいるから」「よくあること」「甘えてる」など言われる事はしょっちゅうで、決まり事の様に最後には「頑張りなさい」と締めくくられてもっと苦しくなっていく事しばしば。
笑う事も泣く事もできなくなって、無感情、無表情になり、ただ目の前の事をやるしかない中で時間が過ぎていくのを耐える日々。
生きている事に実感が湧かなくなって、自分の存在価値を見失い、空気になりたいと思うようにもなります。誰も信じられないし、周りの人々がみんな敵にも思えてくる。
言葉を発する事はもちろん、考える事もできなくなっていきます。
心療内科などありませんでしたので、心の病=精神病。
世間一般では精神病=頭のおかしい人。社会から淘汰されるべき恥ずかしい存在のようなイメージだったと思いますから当然家族にそのような症状が出ていれば、なんとか隠したいと思う人達も多かったでしょう。
私が鬱病を煩って薬を飲み始めたのは高校二年でした。
上記のような事がずっと続いていました。
表面的な受け答えは出来ますが、心のある会話はできませんでした。
こういった症状を理解できない両親に話しかけられて答えられない(口が開かない)でいて、
怒鳴られて頭を殴られた末、かかりつけの医者の元に駆け込んだ事があります。
家庭、学校のみならず社会的無理解もあって結果的に自殺未遂という道を辿っていく事になるのですが、
もし今の様にあの頃世間にもう少し「うつ」に対して理解があったら状況は変わっていたと思います。
しかし、世間に「うつ」という言葉が広まるに連れて、その認識の深さはまちまちで、実際「うつ」でもないのにそう思い込んでしまったり、逃げ口実になったりという、自己啓発の足を引っ張る本当の意味での甘え精神を生みやすくなったり、
非常に軽度のものであっても「うつ」と診断される事でどんどん深みにはまっていってしまう人達も増えました。
さて、前回まで不安と怒りについてお話ししていましたが、不安と怒りを放置していくとそれは身体症状になって現れます。
ようはストレスですから、実のところ鬱症状(一過性のものは別として)に至る前に大なり小なりこの身体症状が起きているでしょう。
身体が重い、胃腸の調子や食欲が変など。これは自律神経からのシグナルで、これによって実際に肉体労働したわけでもないのに非常に生命エネルギーを消耗します。
前回の記事に書いた様に、怒りは生命力を司る第一チャクラに関係します。また不安は第六チャクラに関係します。
この二つのエネルギーセンターの不均衡は自律神経失調症を引き起こしやすい一つの要因であると考えられます。
放置する事によって鬱症状がでてさらに悪化の一途をたどりやすいでしょう。
鬱は主に感情のアンバランスから生じやすいのですが、それは人間がそれぞれ独特の「幸せの定義」があって
それ自体は無意識的な、はっきりと言葉に表記できないようなものであっても、生まれて今に至るまでにある種の幸福のイメージというものができています。
鬱になるのはその裏返しのようなもので、「幸せの定義」に反する「不幸の定義」が引き金であると考えられます。
不安や怒りの引き金と同じ様に、その人一人一人のそれまでの生涯で培われた個人的な「原型」のフィルター
が現実と理想のギャップとあいまってなにがしか問題に繋がっています。
現実と理想とは書きましたが、その中には「〜しなければならない」「こうでなければならない」といった外部からの押しつけお仕着せや、自分にそう思い込ませている固定観念も含まれます。
鬱になってくると心はもちろん思考の面でも選択肢を考える余地が狭まりますから尚更と言えます。
そもそも感情とは本能だけでなく心理においても幸福を感じる人間特有の能力。
鬱になりやすい人ほど自分の感情を抉り苦しみます。
しかしそれは一方で、人を幸せに導ける力を秘めていると考える事も出来ませんか?
自分の感情を抉り苦しむそれを乗り越えた時、幸せに向かう道しるべを知り、
それはやがて同じ様に苦しむ人達のサポートへと繋げていけるでしょう。
まずは鬱に至らせる自己の中の現実と理想のギャップ、そして固定観念や不幸の定義を少しずつ探し当て、認識して開放するプロセスが重要です。自分に取って何が怒りや不安で、何が癒しで愛と感じられるのか?
それははるか幼少時代にまで遡る必要があるでしょう。しかしこれらの事を言語化していくことで焦点がはっきりしやすくなります。
鬱を放置するとやがてこのネガティヴ状態は人生における自分そのものの存在価値を見失う原因である混乱を引き起こします。ということで次回はネガティヴ状態の最終回:混乱についてです。
ここのところ心理学的なお話が続きましたので、次回でこの手のお話はいったん終わり、また違うテーマに戻りますね。