自己と自我・・・別の言い方をすると「大我(真我)と小我」、本質的自己と人生の中で作られた自分。
このように分ける事ができます。
私達はこの世に生まれて数ヶ月ですでに偽りの自己が確立され始めます。
それは生き抜いていく為に必然的に身に付く物でもあり、それ単体では生きていく為に必要な
ものであって、欲が入っていない限り害はありません。
私達は本能的に自分が安全であるかそうでないかを直感的に感じ取る能力を持っていますので
それによって初期の自我は生き抜く為に作られていきます。
しかしこれがやがて人生を歩んでいるうちに、成育史の中で培われた価値観と相まって
偽りの自己を築き上げ、これがここでお話しする自我となっていきます。
しかしやがて自分を価値のある物としている何かのために、様々な成育史のなかで自我を構築していきます。
成功、名声、信頼を得る為に、自分が自分にだけ貢献できる時や他の人が自分に貢献してくれる時にだけ
価値を感じる様になると、やがて作り上げられた自己像を身に纏うようになります。
自我とはそれそのものに要求をもっていて、それを中心として作り上げられた偽りの自分です。
幼少期に人を笑わせている時にだけ褒められたという経験がある人の多くが、
大人になってもおちゃらけたり自己卑下することで人を笑わせることに必死になってしまうことがあります。
そうしている自分に深層心理では虚しさや憤りを感じているにもかかわらず。
自我の強い人はあからさまに強情で、言動も行動も自己中心的であれば分かりやすいのですが、
実は上記の様に一見自己中心的にも見えないようなレベルでも自我がベースとなっています。
誰でも自我を築き上げて、自己と自我を同一視していると言えるでしょう。
認められたい、成功したい、評判を高めたい・・・このような自我の欲求が実は無意識のうちに
他人へと何かしらの要求(コントロール)にも繋がっていきます。
上記の例でいえば、周りの人に笑ってもらう事で自己価値が満足させられるという刷り込み
があった人が、周りの人に笑ってもらえないとなるとどうなるでしょう?自分は価値の無い人間だと
自己憐憫に浸る事もあるでしょうし、笑ってくれない人々に敵意や怒りを感じるかもしれません。
実はそんな事をしている自分自身に嫌気がさしている・・・これが本音でありながら、
その本音を表に出さない、ありのままの自分を表に出さず偽りの自分を演じる事で
受け入れてもらおうとしているわけですから真実にはなりません。
結果自己を偽り、一方で周囲の人々をコントロールしている事になるのです。
人間である以上、受け入れられたい、認めてもらいたい、自分がそれなりに立派な人だと感じたい・・・
大なり小なり感じるでしょう。同意をもたらしたり、関心を惹き付ける物に依存する事もあるでしょう。
生きている間に私達は気分が良くなるもの、不安を満足させてくれるものにベースを置くものです。
それが自我を作り上げ、さらにそれ以上の存在になる為に、期待を満たす為に
もっと満足する為にと望む自己像「〜でなければならない」という自分自身を作り、それを維持する為に
自我を上塗りして本当の自己が見えなくなっていきます。
作り上げられた思考パターン、行動パターン、感情パターンの中で、生まれながらに持っている
自己の本質は深いところで「そうじゃないよ〜」と訴えているので、どんなに自我の上塗りをしても
普遍的な平和や安心を得る事は出来ません。そればかりか、ありのままの自分を出せない人間関係、
自分の限界を遥かに超えた周囲からの要求や期待に辟易する一方です。
やがて自分が何者になろうとしているのか?自分は何者なのか?
会社の社長が大我のためでなく、自我のために会社運営をしていれば、当然その自我に振り回されるのは社員です。
様々なところで問題が山積していくでしょう。
前回「一霊四魂」のお話をしましたが、『一霊=直霊(なおひ)』が自己の本質であれば、
自我によって振り回される事で「四魂」=『徳の種』を良い形でコントロールしていくことはできません。
成育史の中で作り上げられていった思考パターン、行動パターン、感情パターンに気付く事は、作り上げた
自我を知る事であり、自我を認識して脇に追いやっていく事で自己の本質に近づき、徳の種を成長させて
いく事ができるのではないでしょうか?
次回は今回の自我によって起きる「ネガティヴ状態:不安と怒り」についてのお話です。