ふと、それまでの考え方や受け止め方、そして生き方を変えるきっかけがあると思います。
そのきっかけは実に様々ですが、自分の生き方や考え方などが、このままでいいのかな?
こんな考え方はよくないな・・・、どうしていつもこんな風に受け取っちゃうんだろう・・・
普段、そのように思っていたり、考えていたり、あるいはそんな思いが深い部分でひっかかっていたり
する人はふとしたきっかけで流れを変えていく機会が多いと思います。
日々の暮らしの中で、周りを見渡してみると、あるいは本を読んでみたりテレビを見ているときでも
「なるほど!」と思ったり「あぁ、そうなんだよな・・・」と思う事があると思います。
柔軟な心、柔軟な頭を持てば、日々新しい発見をして、それがどんなに小さくても
自分の人生に発展進化をあたえるきっかけになるものです。
「四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳にしたがい・・・」
とは有名な孔子の言葉ですが、この言葉は七十過ぎとなった孔子が人生を振り返ってみて
そう感じた事で、それまで様々な経験を積み重ねた結果の言葉です。
四十歳になったとたんに不惑になるわけでも、五十歳になったから今日から天命を知れるかといったら
そんな筈も無く。ただ日々経験している多種多様な事柄と真摯に向かい合い、頑にならずに
死ぬまで進歩しつづけた孔子だったからこその言葉です。
日々歩む人生の中での出会いや起こる出来事の一つ一つの中に、ふとしたきっかけが潜んでいて
そのきっかけが大きく考え方や生き方を変える事があり、その積み重ねから不惑や天命を知るといった
事を後々感じられる様になるのだと思います。
それには、自分を見つめるということは欠かせません。またふとしたきっかけに気付ける柔軟性が元で
それが自分を見つめるきっかけとなり、さらなる変化の連鎖につながることもあるでしょう。
ふとしたきっかけ・・・なかなかそれに気付くのも難しいもので、人は他人の過ちや欠点はよく見えるのに
自分の事となるとけっこう見えていません。
仏教の法句経に「他人の悪い所ばかり見たり、その人がしたことやしなかった事を取り上げてなにやら言うのではなく、ただ自分のした良くない事、しなければならないのにしなかった事をよく見よ」
とあります。同じような事は論語や聖書にも見られます。
「人の振り見て我が振り直せ」にも近いもので、
他人の欠点を指摘する前に自分の方へとその目を向ければ、いままで気付かなかったことに気付くきっかけに
なるかもしれません。
気付きや変化というものは、人から押し付けられて無理にそうさせられるものではなく、一人一人が自分で気付いて
自発的に心や目を向き直さなければその人の人生の発展には繋がらないものです。
ある時、ある瞬間、今まで気に留めなかった事を気に留めてみる。
リンゴの落ちる様子に何かのきっかけを得たニュートンの様にです。
社会全体が複雑になるに従い、人間一人一人がそれに翻弄されて自分を見失っていく事も多くなってきました。
社会の歯車に流されていればいるほど、自己を見失い、自分を苦しめる事に繋がります。
なぜなら、どんな人でも、核の部分では、より自分らしい光に満ちた人生を歩むよう働きかけているからです。
忙しくも難しい社会であるからこそ、自己を見つめる事、自発的に今まで気に留めていなかった事に
気持ちを向けてみることは大切です。