『主人公』と聞くと、なにかドラマや映画のキャストの様ですが、
実はれっきとした「公案」の一つなのです。
私自身は前回のメルマガで紹介した「婆子焼庵」の伏線的な感覚で
これを紐解きました。
この公案の深部には実にスピリチュアルな概念があるのですが、まずは表面的に解釈すると、
一言で言ってしまえば「主人公」とは『本来の自分自身を生きろ』ということ。
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中国がまだ唐の時代、瑞巌師彦(ずいがんしげん)という和尚さんがいました。
彼は日々、自分に「主人公」と問いかけて、「はい」と答えていました。
「はっきり目を覚ましていなさい」
「はい」
「どんな時も他人に騙されてはならない」
「はい」
このように自問自答していたのです。
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さて、これはいかに?
単純に内省内観の事を説いている様にも見えますが、それだけではありません。
前回「禅は生きている者のためにあり」と書きました。
仏というものは死んだ人の事ではなく、本来は生きた自分自身の事です。
自己の本質こそ仏、ハイヤーセルフとか大我(真我)の事でしょうか。
死人の様に生きるのではなく、活き活きと生きることも含まれます。
周囲の状況に左右されず、迎合することもなく、欲や執着にかられる事無く、
恐れず、芯がぶれず、ただただ自分の本質であることこそ「主人公」
なわけです。本当の自分=主人公。
「はっきり目を覚ましていなさい」というのは『覚者たれ』という事で
「無」であれという意味に取る事も出来ます。
「無」というのは何も無いのではなく、境界線などどこにも無いという事。
つまるところワンネス意識の事でしょうか。
これには主体と客体(わたしとあなた)の区別がありません。これは物質世界での事ではなく
霊的世界での話で、それぞれの魂の本質は、このワンネス意識のポータルと考えます。
この辺はアルカディアでのレイキ勉強会で度々お話ししている事ですね。
ここまでくるとちょっと現実的なところから離れそうなので、一歩手前に戻します。
「水急なれど月を流さず」という言葉があります。どんなに急な流れの水でも
それに映る月を流し去る事は出来ないという意味です。
月はとは自己の本質、本来の自分の事。周囲の雑音に流されない「主人公」の事。
本来の自分を生きている人はぶれません。とても正直でそして強い。
だから慈悲深く、無条件の愛をそそいでも枯渇する事はありません。
自分が自分としてある在り方が分かっているから、悩む事も無い。
試練を学びとして感受し、乗り越えていける。
故に魂のテーマを活き活きと生きられるわけです。
まぁ難しい話はこれくらいにして、「自分を忘れるな、主人公たれ」という事で・・・最後に。
この年末、忘年会などで羽目を外しすぎて自分を見失ってしまう方もいるかれもしれませんので
くれぐれもご用心ですぞ!