私は学生時代弓道部にいました。弓道場には「平常心是道」と「直心是道場」という
言葉が掲げられていて、試合に挑むときはこの言葉を弓を引く時に装着するグローブ(かけ)
の中にはめる綿の手袋に書いたものです。
かといっていざ的前に出てどうかというと、それは日々の鍛練の結果がそのまま反映されるわけで。
それにどんなに良い道具を揃えたからといって、矢が的に当たるとは限らないわけです。
ということで今日は「直心是道場」のお話。
「直心是道場」とは
偽りの無い心、真っ直ぐな心、乱れの無い心の状態こそが道場なのである。
という意味です。そして真っ直ぐな心=真心をも意味します。
どんなに偉い先生から話を聞いたとて、すぐにその偉い先生のようになれるわけでもない。
事業環境が整ったからといって、すぐに事業が上手く行くわけでもありません。
肝心なのは自分の心の問題であるということをこの言葉は言っています。
子供の頃、こっそりずるをしようとすると「お天道さんが見てるよ!」と叱られたものです。
誰も見ていないからと人徳に反する事をして、はたして本当に誰も見ていないでしょうか?
天が見て、地が見て、そしてなにより己が見ています。
いずれ良心の呵責から気持ちが晴れず、物事が上手くいかなくなるかもしれません。
ねじ曲がった心はねじ曲がった現実を引き寄せます。
もちろんそれも自らが選んだ道ですけれど。
人生時には寄り道も必要。息抜きとしての寄り道だったり、失敗反省による経験を積むための寄り道もあるでしょう。
しかし、人生を生き急ぐわけでもなく、淡々と全力で生きている人は、人生に手を抜く事をしません。
だから寄り道しても、自分に取っての良い結果を得ながら、結果的に真っ直ぐ生きています。
これはねじ曲がった道をぐるぐると歩き回って遠回りするのとは少し違う。
真っ直ぐな気持ちで人生を歩む人の心には常に道場があります。
だから一見つまらない様な物事の中にも、おもしろさや学びを見いだす事が出来る。
人生の楽しみ上手になれるような気がします。