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【Vol.68号記事】 直心是道場

私は学生時代弓道部にいました。弓道場には「平常心是道」と「直心是道場」という
言葉が掲げられていて、試合に挑むときはこの言葉を弓を引く時に装着するグローブ(かけ)
の中にはめる綿の手袋に書いたものです。
かといっていざ的前に出てどうかというと、それは日々の鍛練の結果がそのまま反映されるわけで。
それにどんなに良い道具を揃えたからといって、矢が的に当たるとは限らないわけです。

ということで今日は「直心是道場」のお話。

「直心是道場」とは
偽りの無い心、真っ直ぐな心、乱れの無い心の状態こそが道場なのである。
という意味です。そして真っ直ぐな心=真心をも意味します。

どんなに偉い先生から話を聞いたとて、すぐにその偉い先生のようになれるわけでもない。
事業環境が整ったからといって、すぐに事業が上手く行くわけでもありません。
肝心なのは自分の心の問題であるということをこの言葉は言っています。

子供の頃、こっそりずるをしようとすると「お天道さんが見てるよ!」と叱られたものです。
誰も見ていないからと人徳に反する事をして、はたして本当に誰も見ていないでしょうか?
天が見て、地が見て、そしてなにより己が見ています。
いずれ良心の呵責から気持ちが晴れず、物事が上手くいかなくなるかもしれません。
ねじ曲がった心はねじ曲がった現実を引き寄せます。
もちろんそれも自らが選んだ道ですけれど。

人生時には寄り道も必要。息抜きとしての寄り道だったり、失敗反省による経験を積むための寄り道もあるでしょう。
しかし、人生を生き急ぐわけでもなく、淡々と全力で生きている人は、人生に手を抜く事をしません。
だから寄り道しても、自分に取っての良い結果を得ながら、結果的に真っ直ぐ生きています。
これはねじ曲がった道をぐるぐると歩き回って遠回りするのとは少し違う。

真っ直ぐな気持ちで人生を歩む人の心には常に道場があります。
だから一見つまらない様な物事の中にも、おもしろさや学びを見いだす事が出来る。
人生の楽しみ上手になれるような気がします。

【Vol.67号記事】 おそれ

ヘレン・ケラーの言葉に『あなたの顔を日光に向けていなさい。
そうすれば影を見なくてすむ。いつも真理に目を向けていなさい。
そうすればあなたの心から不安や心配は消えるでしょう』というのがあります。

私がこの言葉を読んだ時、「いつも真理に目を向けていなさい」の真理を「愛」だと思いました。 原文ではなく翻訳文を読んでいますので、実際どの単語が用いられてこの言葉が話されたのか分からないのですが、ともかく真理とは人間の本質を指していて、それが「愛」だと思いました。
一方で、「あなたの心から不安や心配は」の不安や心配を「恐怖」としました。

ところで、豆知識。「おそれ」というのは四種類の言葉があります。その中で最も良く使う恐と怖。前者が未来に対する心配や不安、後者はプレッシャーに脅かされた感じなのだそうです。
畏怖の念というのに使う畏は、威圧を感じて心がすくむ。
滅多に使わない懼はびくびくと怯えた感じです。

『未来に対して心配する』が含まれるこの恐れと、現在進行形で感じている怖れが合わさって「恐怖」となります。
この恐怖は愛と希望と勇気で溶かし去っていけるもの。
しかし多くが恐れによって怖れを作り、さらなる恐怖に繋がり、恐れに基づく行動に発展・・・その反対に愛は愛を育みます。 

しかし、人生を歩んでいく中で恐怖を全く感じずに生きられる人
なんてそういません。みんな何かしら抱いているものです。
だったら、自分が恐怖を感じないシーンにいる時、同じ場所に恐怖を抱いている人がいれば慈愛を持って接すればいいのです。勇気を持って、怖がる必要は無いと手を差し伸べればいいのです。

手を差し伸べられた人は恐怖が拭われ、またいつか同じようなシーンのときに、その人が今度は恐怖を感じている人に手を差し伸べる事が出来ます。

ずっと前にブログに書いたのですが、人生に置けるテーマで慈愛が何たるかを学びの焦点としている人の多くが、そのために恐怖を感じやすい傾向にあります。多くの恐怖を感じやすいからこそ、勇気を持ってそれを乗り越える術を勝ち取りその結果、慈愛とは何たるかを知ります。

ヘレン・ケラーの言葉に 『人生は、大胆な冒険か、無かそのどちらかです』 という言葉もあります。
ヘレン・ケラーは常に勇気を持って生きる事を教えてくれています。
恐れと立ち向かい、勇気を持って一歩踏み出す時、そこには自由に繋がる光り輝く未来が開けてきます。
心の自由を勝ち取るときは最も恐れている事に挑戦してみることなのかもしれません。

この秋は、こんな勇気と愛と夢を与えてくれる人の著書を読んでみてはいかがですか?

【Vol.65号記事】憑依体質2

前回の続きです。憑依体質は微細なエネルギーを知覚しやすい体質であるという
のと、その微細なエネルギーで肉体的にも具合が悪くなったりする多くが人の念によるもものが多いという
お話でした。今回は少し傾向別にお話を続けます。

エネルギーというのは善くも悪くもだとよくお話ししていますが、特に恐れに裏付けされる
執着、恨み辛み妬みといったもの、エゴに裏付けされた競争意識や独占欲等々は、イメージで言うと
目が粗く粘着質で攻撃的?な感じでしょうか。

ちなみに憑依体質=霊能者じゃありませんのでお間違えの無い様に。
霊能者は憑依体質でありながら、それをコントロールする術を
身につけている方で、そうなるべくしてなります。
単なる憑依体質の方の多くが単純な言い方をするとエネルギー的なビビリで、上記のようなエネルギーに負けてしまうと
体調を崩します。もちろんこのエネルギーの強さはそれを発している人やら物やらの状況によって
様々ですから、Aさんが大丈夫だからといってBさんも大丈夫だとは限らないわけです。

あとは自分で質の悪いエネルギーを引っ張ってきてしまう、いわゆる波長の法則もあります。
この場合は自業自得で、それに気付く事から始めなければなりません。多くは無意識にしている
事ですから、卑屈な性格や固定観念が強かったりするとなかなか気付く事はできないでしょう。

繊細であるが故に、赤の他人の話している言葉で関係ない自分が傷ついてしまうという状況も
憑依体質と言えます。必要以上にアンテナを張ってしまっているので、自分自身がどこでどう心のけじめを
つけるかが鍵です。

微細なエネルギーを知覚しようと努めた結果、憑依体質になってしまいやすいのが
セラピーとかヒーリングをしているタイプ。相手との共鳴を意識するうちに、いろんなものを受け取ってしまうんですね。
本人がそのような事をまったく意識していなくて、体の不調を感じている人もいると思います。

微細なエネルギーを知覚するというのは善くも悪くもだとセミナーでお話ししています。
影響を受けたくなければ浄化を心がけ自分を鍛えるしかありません。それが嫌ならば、その世界から離れる事です。
そしてセラピーやヒーリングをするのなら、クライアントと共鳴して、いろいろ受け取ってしまうのもあたりまえの事。
学ぶべきは自他の境界線。しかしこれは机上で学ぶ事ではなく、経験で磨かれていくので、すぐに手に入る物ではありません。

質が悪いのが、憑依体質が高じて? 霊が見えると人に言うタイプ。 本当に困っているなら、
それを解ってなんとかしてくれる人に言えばいいのですが、
霊が見えることをちょっとでも「自分は特別な存在として見られたい」なんていう欲で捉えていたら
(無意識も含めて)、どんどん悪くなる一方です。霊能者的な言い方をすれば、このような
タイプは低級霊に取り憑かれて、いい様にあしらわれている・・・となるでしょうか?危険ですね。

こういったことも波長の法則になってきますから、霊媒師が外してくれたところで本人がまた
引っ張ってきてしまうので意味がなかったりします。

自分は霊が見えるタイプだからいろんな物が見えて恐いとおっしやる方。
本当にそれで困っているのか?実はそういった自分のそんな部分を
手放したく無いのではないか?そんな自分が特別なんだと思っていないだろうか? 
あるいは恐いと思っているから何でもそう見えてしまうのでは?

中には望まずして憑依体質になる人もいます。子供の頃から五感を研ぎ澄ませる必要性があって生きてきた人。
たとえば虐待や生活環境の悪さから、無意識的にも身を守らなければならない必要性にかられて生きてきた人。
このじょうな状況をシャットアウトしようと努める過程で何も感じなくなるのですが、
潜在的には憑依体質なので、大人になってそれに気付くことがあるかもしれません。
このような状況も苦しいとは思いますが、それを乗り越えていく事で
しかるべき道を歩んでいくことになるでしょう。

どんな状況においても、結局は自分のあり方です。手助けしてくれるセラピストやヒーラー、霊能者は
いるでしょう。しかし、結果を出すのはそういった人達ではありません。最終的には自分のあり方次第です。